離任式(3/22)

明日、離任式。
子供がお世話になった先生もそうでない先生も、数人他の学校へ転任する。
教師という職業って、なんだろうね。
次にどんな先生が来るのだろう。
いい先生だといいけれど、現在は、あまり期待できないな。
浮世離れしていて、高飛車で・・・・。
医学部の学生や、医者という職業の人たちも、同類だった・・・・結構ね・・・・。
若かりし頃、友人に連れられて、そういう色々なコンパに行ったから、人を見る目はできたかな。
私は、職業じゃなく、キャラクターで結婚しようとその時に決めた気がする。
間違ってるとか合ってるとか、そう言う外の次元のことじゃなくて、自分自身を良く知ってる人じゃないと、結局のところ破綻する。
私はそんなにいい人間じゃないし、特別重くも軽くもなかった人間だけど、普段の生活を共にする人間が、嫌なキャラクターだったらとてもやって行けないね。でも、そんな人がちょっと教師という職業に多すぎはしないだろうか?
私の出遭った教師の中でも数人確実に混じっている。
それは確率からいくと、結構な割合だ。
たまたまそこに溜まってただけ、と思いたいけどね。
普通を教える教師自体が、教師という職業の人が溜まる教育現場というところが、腐りかけてないか?
腐臭がしても、皆からしてれば気にならないのかな?
そんな恐さがある。
敏感であるべき所で愚鈍で、素早く対処しなくちゃならないことに緩慢な人間がとても多い。

私の知ってる数人の教師は、暴漢が入ってきても、子供を盾にして、自分だけ逃げそうだぞ。

逆に、すごく子供を大切にしてくれそうな教師も(私の友人も含めて)何人か知ってるけど、その二者の落差は限りなく大きい。

仕事って割り切ってるというか、パートタイマーのように教師という職業をこなしている人間って、どうなのよ?
何を持って教師と言わしめるか・・・・・そこのところがすっかりぼやけてる公立の教師達。
大学で教育実習受ければ教師になれるってのは、もう古い。
学校以外の場所で、自分の蓄えてきたことって何よ?
それが何もない人が教師に多いような気がする。
空っぽのハートと狭い世界で培った硬い頭で何を子供に提供できるのかな?

保護者の中にもいい加減、とんでもないヤツがたくさん居るけど、教師の中の割合とどっちがどうだろうね。
そんな保護者と教師・・・おかしな同士で話をして、何か進展あるのかな?

いじめで自殺をした子供を持つ家庭と、学校や教育委員会側のやり取りを見てるとその滑稽さが分かる。
何があったか知りたくて、子供のことを理解したくて、再発を防いで欲しいと訴える親のほうが、まっとうじゃないかと、私は単純に思う。
「いじめ」があったかなかったかは調査中です。
分かりません。いじめとは気付きませんでした。・・・・そんな風に言い逃れているような気さえする、学校側の態度がとても真摯ではないと、みんな感じてるのじゃないだろうか?
その態度一つとっても、学校と言うところは、なんだかおかしいぞ、と思いません?
でも学校はただの入れ物で、おかしくしているのは、その中にいる人間・・・生徒と先生に違いないのだから・・・・。

最近の子供も親もなってない!
なんて、言ってる教師もいたけど、じゃあ、どんな親子ならなってるわけ?
きちんとしたビジョンを具体的に話せるわけでもないのに、そういう発言をするから余計おかしいんだよね。

いい加減、教師もちゃんと言うべきなんだよ。
「家庭が悪いから、あなたの子供は悪いんだ」ってね。
そして、どうすれば上手く行くのか、方法は示すべきだよ。
専門機関があることさえ知らない教師が多いね。
精一杯のことをしている教師なら言えるセリフも、あの人たちを見てる限りじゃ無理だな・・・。
いつも精一杯じゃないもんね。
逃げるが勝ち・・・・そんな風に見えてしまうのよね。

私の仕事はたいしたことない仕事だけど、精一杯した日にゃ、気持ちいいし、達成感や満足感もある。
次もがんばろうと思える日もある。
失敗も栄養になる。

やる気のない、親の顔色や上司や教育委員会の顔色を伺いながら、結局のところ自分からは何も働きかけない「教師」という職業・・・。
本当に何なんだろうね?

「教師」から、離任したほうがいい人、きっと多いのだろう、と何度か痛い目を見た私は春に思う。

私が師と仰ぐ人たちは、ああいう人たちじゃない、と呟きたくもなるそんな季節です。