番宣がしょっちゅう流れていたので、見たかった番組。
2月17日のフジテレビのDNAシリーズ。
いろいろと問題を起こしたフジテレビですが、このシリーズは、ずっとチェックしています。
今回は、まさか帰れなくなるなんて思いもしなかったので、ビデオもセットしてこず、たまたま見ていた相方に話を聞くのみとなってしまった。
こういうところ、好みが同じでよかったと少し思います。
プロジェリア(早老症)の少女アシュリーちゃんのその後だ。
彼女の笑顔を見ると、私だけじゃなく、元気をもらえるヒトは多いのじゃないだろうか。
いや、きっとたくさんいる。
何年か前、そのテレビで初めて、病気を知り、彼女を見たときは、正直気持ち悪いし、なんて哀れな、そして可愛そうな不運なヒト・・・と思う、とことん酷い人間性の私がいました。
ところが、ぐいぐいと番組に惹きつけられ、ついに、彼女と同じ目線に立って物事を見たいと思う私に変わってしまいました。
それほど、テレビを通しても伝わってくるものすごいエネルギーが感じられたのです。
彼女の語る言葉に、仕草に、すっかりひきつけられてしまうのです。
何より、うれしいことがあったりするとぱあっと輝く華やかな笑顔と、キラキラした目は世界で一番じゃないかと思うくらいまぶしいのです。平均十数年しか生きられない、そして一般の人間の10倍の速度で年をとる彼女の日常は、私の堕落している日々に「渇」を入れるものでした。
きっと、彼女自身も葛藤があったでしょう、そして、恐怖や絶望、苦しさや辛さと散々戦ってきたのでしょう。
小さな体にどれほどの災いを受けてきたのか・・・。
なのに、彼女はそれを星降る金貨に変えてしまった。
彼女の生き生きとした表情は、そして夢や希望は、色々な偏見やそんなものに打ち勝ち、叶わなければ次の希望を、叶えばその更に上を・・・そうして、ずっと生き続けているのです。
病気を憎まず、自分の人生に誇りを持ち、しっかりとした足取りで歩く一人の人間として・・・。
子供を持つ親なら、誰しも、自分の子供にキラキラとした人生を歩いて欲しいと願うものです。
先に死んでしまうなんて考えられないことなのです。
それを・・・目の前で死に近づく姿を見せつけられながら、それでも一緒に生きる母親は、とても強いという印象でした。
そうして、彼女の母親の書いた手記を読むと、涙が止まらない自分がいました。
テレビではほとんど肝っ玉母さんで、しっかりしていて賢くて、完璧な母、と言う風に写っています。
再婚もし、アシュリーに兄弟も作ってあげたのです。
主役がアシュリーなので、モチロン、そんなにクローズアップされてはいないのだけど・・・。
テレビではほんの少し、母親の過去を語るシーンがあったけれど、本を読むまで、彼女のことをよく分かるくだりはそんなにはなかった。
この限りなく優しく強く、そしてしなやかな女性は最初からそうだったわけではなく、アシュリーと歩む人生の中で、成長をしていったのだと言うことが良く分かる。
若い頃、ドラッグやそんなものにうつつを抜かし、確かに一度は暗い穴に落ちた彼女だったけれど・・・。
アシュリーのような美しい命を授けられたら、守り抜き、ともに歩み、そして抱きしめられずにいられるはずがない。
彼女は手記の中でどんなどん底にいても這い上がることができるのよ、と言っていた。
ただし、その暗い底にいる時間は長くてはいけないと。
そんなところでぐずぐず這い回っていたら、外に出てやるべきことをする時間がなくなるから・・・。
もし、アシュリーを託されたら、あのように希望に満ちた人生を送らせてあげられる親に私は果たしてなれるだろうか?
今、現実に、確かに私に与えてもらっているこの子供たちを、社会の役に立つ、そして誰かに愛され愛することのできる人間に私は育てられるのか、本当のところ、自信がなくなってくる・・・。
ああ・・・そうか、こうやって比べること自体が間違いなんだな。
誰かのどこかと比べる暇があったら、今、子供を守るために、育てるために、愛してることを伝えるために、私に何ができるか考えなくてはならないのだ。
そうやって、いつも新しいショックを何かしら与えてくれる。
地球の裏側に住んでいる、私の心をノックしてくれる天使とその家族の人たち。
密着取材なんて、骨が折れることだろうし、ウザったいに違いないのに、それを引き受けていることはなんとすごい勇気だろう。
何より、アシュリーの健康のことを考えたらそんなことをお願いされても受けたりしないだろう・・・。
心無い人は「お金のためでしょ」なんて言う。
確実に、その為じゃないと思う。
そんな外側のフィルターでしか見れないなんて、私以上に心の貧しい人だ。
アシュリーもお母さんも、伝えたいことがあるのだ。
番組収録中に亡くなる事だって十分に考えられることがあるのに、それでも伝えたいことが・・・。
素人の私が普通に考えても、アシュリーに「死」は訪れるでしょう。
それは、不確定な未来ではなく、確実に近い未来に。
でも、それを恐れず生きる為に、彼女や家族はどれほど強くなったのだろう。
あれほど輝く「生」を残す彼女を私はまだ見ていたいのです。
私もアシュリーよりは少し後から死ぬんでしょうけど、彼女ほど輝く「生」を刻めるかは分からない。
死を目前にして、あんなに澄んだ目で、屈託なく家族と笑いあえるだろうか?
まだ残されている、自分の時間をいたずらにではなく、精一杯使うことを、しっかり教えてもらう。
たった14歳のアシュリーに。
「いじめ」や「自殺」・・・「犯罪」・・・そんなことで無駄に人生を使う人たち皆が見なくてはならない、考えなくてはならないことじゃないかな。
人生の時間は実はとても短いのだ。
容赦なく時間は過ぎて、私はもう人生折り返した。
何もできていない感に少しあせる。
でも、よく考えよう。
残された物、私に与えられた物はたくさんある。
まだまだそれを使って進む時間もある。
アシュリー、あなたのお陰でそんな事を考えるオバサンもいるのです。
何かの為に動ける自分をありがたいと思い、生きます。
あなたがそうしているように、あなたが皆にそうして欲しいと望んでいるように。
日々の小さなささくれに躓きながらも、がんばりますね。