月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也

ご存知、松尾芭蕉です。
俳句や短歌といった短い系は専門外なのですが(一応一通りはやりました・・・国文科ですゆえ・・・)嫌いではありません。
短い中に、感情や季節などを織り込むその技術は日本人独特のものです。
美しい国日本、なんて誇示しなくても、みんな、体の中にその感性を秘めています。
着物ひとつとってみてもそうです・・・。
花鳥風月、春夏秋冬、それらを見事に着物と帯とで表現することができるのです。
最近の子供の教科書を見ていて、なんて内容が薄っぺらいんだろうと驚く事しきりな私です。
日本語力が育たないのも無理はない、そんな「国語」の教科書を前に、物語の面白さを教えるのはまことに難しい・・・・。
子供の中に、基礎が育ってないんです。
基本ができていないから、国語だけではなく、ほかの教科も遅れてくる・・・理解ができない・・・無理ないことです・・・・。
最近聞いた話ですが、翻訳や通訳には、この国語力がない人はなれないんだとか・・・。
いくらよその国の言葉を理解しても、日本語に上手く変換できないので、高度になればなるほど、意外にもバイリンガルは役に立たないのだとか・・・。
なるほどね・・・。
なんとなく分かる・・・。

母国語って、やはり大切なのです。
自分の言葉ですもの。

最近の若い人は・・・・なんて言いません。
お年寄りから中年までの中でも、ボギャブラリーがとても少なく、まともな敬語を使えない方が多すぎます。
大人ができないで、子供ができるわけ、ないですよね。

正しい日本語を使え、とも言いません。
でも、綺麗な言葉を選んで使いましょう。
使う言葉で人格って、磨かれるものです。
けなしたい相手には、どうぞ、汚い言葉を選んで使ってください。怒りに任せて・・・。
そして、汚いものを出し尽くしたら、また落ち着いて、自分のペースを思い出しましょう。
深くて美しい、表現方法が無限にあるかのような、日本語、私は大好きです。
それを育んだ、歴史も、ちゃんと勉強しましょうよ。

ここは、素敵な国なんです。
住んでる人が気づいてないだけで・・・。