今、何時? と聞かれて、
ごそごそ携帯を取り出すタイプだ。
何の話かというと、
つまり腕時計をいつもしているかどうか、
ということです。
類友だろうか、
周囲にも時間を聞かれて即答できる人は少ない。
だいたい皆、おもむろに携帯を開こうとする。
腕時計の世界には、宝石付きの超豪華なデザインや、
親子代々譲り受ける高級アンティーク扱いのブランドなどが、
相変わらずいくつもひしめいているが、果たして、
マーケットそのものは順調に拡大しているのかな、と思う。
おのれの時間を管理するツールを身につけ、
社会の要請に合わせてキチキチと動ける人。
やがてツールそのものが個人の好みや収入の程度を、
あからさまに知らしめるシンボルとなり。
野生の鹿がじっとこちらを見つめている。
ロス郊外のナショナルパーク。
夕暮れが近づいて、一人が口に出す。
今何時?
乾いた草の波と土、
ところどころに灌木のある丘陵地帯に、
液晶画面の数字を読み上げる人間たちがいる。
ナニ シテル ノ?
風に乗せ、鹿に答えを返す。
何、してるんでしょう。
意味ないよね、本当は。
アンティークであろうと、デジタル情報であろうと、
時計的な縛りは私たちにしっかり巻き付いている。
規則正しい目盛で全てをなべる、
近代的時間感覚。
光輝の一瞬と、蒙昧の長き遅滞を、
ただ「時間量」で評価する。
本人が楽しんでいるかどうかで、
時間量の伸び縮みしちゃう時計、
だれか発明しないかなあ。
そうすれば、きっと、
ドライなつもりで時間を切り売りする近代労働者的発想も、
そのうちポトンと取れるのに。