Ⅰt’s a small world

子供の頃、とっても学校が嫌いだった。

人数が少ない学校で、私は、一種毛色の変わった感性の子供だった。
また、女子の数が、男子のほぼ倍というバランスの悪い学年でもあった。
1年から6年までメンバーが変わらないばかりか、保育所から変わらない。
一度力関係が確立すると、ほぼ、6年生までそのままだった。
リーダー格の強い女の子が一大帝国を築いていて、逆らうと痛い目に合わされた。
シカト、悪口・・・・などなど・・・一般的に言われるいじめと言われること・・・。
自分が孤立した事も、一緒になって誰かをいじめたことも、むしろ、率先して誰かをいじめないと、すぐに自分に戻ってくる恐怖も味わった・・・・。
あらゆる役柄を演じ、自分がなんだか分からなくなった。
「協調性」は「個性」より極めて大切で、出る杭は打たれた・・・。
その女の子が風邪なんかで欠席だと、ようやく深呼吸がつけて、自分の居場所を確保できるような気がしていた。

自分のことを、繰り返し繰り返し、だめで、どうしようもない人間だとその子から思わされていたから、随分いびつになってしまったところもあった。
最後には、傍観者となっていた。
無感動で、周囲のペースに乗ってるような、分かってないような・・・。
いつも死にたいような気持ちと、負けたくないような意地と、傷つけられたプライドとハートを無造作に抱きかかえ、本音を決して言わず、クラスで望まれる「自分」というキャラクターを演じていた。

自分が「死にたい」とか、誰かを「殺したい」という気持ちは、そういう日常で、簡単に心に生まれる。
ただ、引き止めるものが多くて、そう簡単に実行に移したりはできないのが普通なんだけど・・・。
だからこうして生きてるし、犯罪者にもならずに済んだ。
いじめっ子も、いじめられた方も、今はただの社会人。

彼女の事は今もそう好きではないけれど、(まあ、いい思い出がない人なので仕方ないんだけど・・・)会ったからといって何かがドラマのように起こる事もないし、普通に久し振り、と挨拶を交わせるようになっている。(こんにちわ!いい天気ね、・・・・その後の会話がないんだけどね・・・向こうも何か思うところがあるらしい。できれば、馴れ馴れしく呼んで貰いたくはないものです。よそよそしいくらいがちょうどいい距離感なので・・・・)今見れば、小さな小さな世界で、その中で、それが全てだと思い、ずっとずっと踊り続けていた。
本当の自分がどれなのか、自分でも分からなくなった。

そんな私が自分を取り戻すのに、中学3年間と高校1年、4年ばかりかかった。

「個性的で面白いじゃん」

そう言って、親友となった今も親交のある友人が高校で数名、そして大学でまた数名。
私から見れば、彼女らもとても個性的で、魅力的なのだけれど・・・・。
嘘をつかなくてよくなり、自分の夢や未来を明るく考えられるようになり、実際に明るかった。

高校と大学は大好きになった。

自分が自分でいられる場所。
自分を表現できる場所。
気を使わず、心許せる場所。
たくさん動き、たくさん学び、たくさん失敗をし、豊かな人間関係と経験を積み重ね、あまりに幸せだったので、もう、保育所・小学校・中学校のことをあまり思い出さなくなっていた。

私の子供たちが同じ歳になって、友達といろいろ・・・楽しいことも、けんかも揉め事も・・・。
小さな世界で色々あるらしい。
ため息ついたり、きらきらの笑顔で帰ってきたり・・・。
小さな世界の大きな出来事。
昔の私と同じく、きっといろいろあるんだろう。

小さくしぼんでしまったハートでも、その輝きは消さないで。
楽しい思い出は、綺羅星のごとく、大切にしまっておこう。

もうじき、君達はこの小さな世界を飛び出していく。
世界が広がるのもしぼんでしまうのも、君たち次第。

今となっては、嫌な思い出も、まるまる含めて私自身。

どんな体験も経験も、自分の糧に出来るよう、がんばっておいで。

まだ、君たちの帰る場所はここにあるのだから。
疲れたら、帰っておいでよ。
そして、力を蓄えたらまた、より遠くへ、高く飛び立って。
いずれ、自分の居場所を自分で作るその日まで。