地獄で仏

介護は大変で、実は文字にしながらも、辟易としていたところ。

でも、こんな辛い状況の中でも、やっぱり暖かなものや、うれしい事は確かに、ある。

まず、療法士の方たちや、看護士の方たち。
今までたくさんの患者さんたちを見てきたのだと思う、無論、その家族も・・・。
だから、どんなところが大変で、どうすればいいか、細かく話せば話すほど、的確な答えが返ってくる。
選択肢をたくさん用意してくれる。
私が不在中に母がどんなことを出来るようになったか、今日のリハビリはどうだったか、何に喜んだか、細かなことを教えてくれる。
それも、プロの視点から、過不足無く、事実だけを伝えてくれる。
細かな細かな気遣いやアイデアで、昨日できなかったことが出来るようになり、母は少しずつプライドを取り戻す。
母のプライドを一番ずたずたにしたのは、当然、下の世話・・・というものだ。
初めて私が母のオムツを替えたとき、母は、私の手をはたき、変えて終わった時、布団をばさっとかぶって、しばらくの間、私の顔を見なかった。それほど、屈辱的で耐えられなかったのだろう。
しかも、しびれたようになった片方の体は、いつまで待っても感化が戻らないし、動きもしない。
辛い事を訴えようにも、言葉も奪われて、ただ、嗚咽するしかなかった母のことを考えると、それはあまりにも切ない姿だった。
八つ当たりもしたくなるだろう、それはそうだろうな・・・とその時は思ったものだ・・・。
その一部始終を見ながら、スタッフさんたちは、明るく接してくれる。
笑顔が出ないスタッフは一人もいない。
このへんは、この病院の持ってる雰囲気であり、彼らがプロ意識をきちんと持っている人たちなのだときっちり理解できる。
なにせ、その場がいつも明るく保たれているのだから、大したものだ。

それから、一緒に入院しているほかの患者さん達。
話せない母に、どこまで理解してるのかなんて分からない母によく話し掛けてくれる。
「一緒に頑張りましょうね」と・・・・「休み休みやろうで・・・」と・・・それぞれの持つ、暖かな言葉で励ましてくれる。
多分、これは一番効いてると思う・・・。
同じ病気をもつもの同士、私たちなった事の無いアウトサイダーには分からない感情なのだと思う。
一番痛い部分を共有しているような、そんな仲間意識を感じる。
別に、閉鎖的ではないけれどね・・・・・。
話しても分かってもらえない、もろもろの感情を、いつもの挨拶や、言葉の中にそっと忍ばせているような・・・・重みさえ感じる。
暖かくて、気持ちのいい重みだ・・・。

また、施設から来るケアマネージャーの人。
母も当然のことながら、私の体も気遣ってくれる。
何人も倒れる家族を見てきたのではないかと思う・・・決して言葉には出さないけれど・・・。
こういうことでもないと、なかなか合うことの出来ない人でもあるけれど、この人が信頼できるから、母を、この施設に入れようと決めたのだ。
施設の内情から、サービスまで、本当に分かりやすく説明してくれる。
私もまた、隠さず、母の状態を説明させてもらう。
ちょうど、1年前に母と同じようになった方がいて、1年経った今、その人がどれくらい回復しているかを聞かせてくれたり、励ましてくれる。
「大切なお母様の世話は、本当にきちんとさせてもらいますからね、あなたがこんなにも努力している事を無駄にはさせませんからね」と言ってくださった・・・。
施設の療法士の先生と、近日中に会うことになっている。
母にやれる事、やれない事、色々な事を話さなくてはならない。
そんなセッテイングもしてくれた・・・。
主人に言わせれば「だってそれが仕事じゃん」ってけんもほろろ・・・。
でもね、当たり前のような気はしても、それを本当にやっている「プロ」って少ないのだよ!
つんけんした看護士や医者、パートタイマー的な仕事のこなし方をする公務員たち・・・・・。
自分の仕事を実直に、確実にこなしている人たちを目の当たりにしながら、そういう人たちに出会えたことが、「地獄で仏」。
捨て鉢にならないで済んでいるのは、そういう人たちの助けをもらっているから・・・・。
母の頑張りと自分の頑張りとが、なんだか少しずつ実っているのは皆さんのおかげ・・・。
もうちょっと、もうちょっと、だから今日もなんとかやれています。
本当にありがとう。