偶然ではなかった

今日は大型連休最終日。
用事もあって、その帰りに母の病院へ向かう。

今日は、私とダンナと子供達。

なんと、今日も下の息子を見て声を上げて笑う。
そして、カーテンの陰に隠れた上の息子をカーテンをめくって探す・・・。

これ、なんとなくかもしれないけど、確実に何か分かり始めている。
私と主人にはそんな反応は示さないのに・・・。

なんともはや、子供っていうエネルギーのせいだろうか?

一番幸せな記憶が詰まっているからかもしれない。
まだむらはあるけれど、自分の孫のことから思い出すなんて、すごいことだと思う。
握手をし、おばあちゃんにエネルギーを分ける子供達の姿に、感謝。

自分の子供に感謝というのもおかしなものなのだけど・・。
無力な私に対して、なんと効果的に働きかけるのか・・・・。

「ちいばあ(小さなおばあちゃんという意味)の爪伸びてるね」
「そうだね、明日、爪切り持ってきてママが切ってあげるよ」

そんな細かなおばあちゃんの姿に気付く子供達にうれしさのあまり涙が出そうになる。
彼らの頭の中で、私の母は決して悲しい人ではなく、少し前とは違ってしまってるけど、自分達のおばあちゃんなのだ。
ごく普通に爪も伸びるし、笑いもする・・・。
子供の柔らかな感受性に、自分がいかに固くなってしまってるかを思い知らされる。

私は子供達を育てる時にこんな子に育って欲しいなんて考えたことがないけれど、(こうなってはイカン!というポイントしか教えていない・・・)優しい子に育ってくれていることが分かった。
この部分は、私の教育ではなくて、彼らを取り囲んでいる環境そのものなんだと思う。
友達や先生、習い事の仲間や近所の人達・・・そんな場所と出会った人達が彼らをこうしてくれたのだと思う。

おばあちゃんもその一人だったんだろうね。
だから、きっとその優しさはまたこうやって自分に戻ってくるのだ。
不思議な輪廻がここにも確かにある。