すったもんだの末・・・・

色々な手続きと、たくさんの質問と、処置をするための次から次への捺印・・・そんな事務的な手続きが山ほどあって、着いてきてくれたおばさんを送り届け、そして、次は、もしかしたらもしかする母の兄弟に連絡をとる。
こういう時、携帯電話ってありがたいもので、一押しで連絡がつく・・。
母の兄2人がとるものもとりあえず、すぐに来てくれた。

かなり長い時間だ・・・・母が倒れてから、3時間が過ぎようとしていた・・・・。
ようやく、ベッドに寝かせられ、点滴をつけられた母が戻ってきた。
そして、詳しい事は後で、と言われ、すぐに「重篤患者室」に入るためエレベーターに載せられる。
私たちは2階に後で向かう。

部屋についてもいろいろとしなくてはならない事があるようで、まだ、私たちは数メートル離れたところで、意識のない母を見つめていた。

おばあちゃんやおじさんたちをそこいらにあるベンチや椅子に座らせて、さて・・・と時計を見ると11時少し前。

「○○さん、先生からお話があります」と、女性の看護士さんが私たちに声をかける。もうね、ドラマのままです・・・。
母の脳の写真数枚が、ライトで浮かび上がり、そして、明らかに、普通ではなく、白く浮き出た部分が素人目にも「これはかなりいっている・・・・」と思わせる。

「さて、私が今回担当した医師の○○です。」

そして、説明が始まった・・・。

母の場合、左脳の3分の2から4分の3がかなりなダメージを受けている。
かなり大きな動脈が詰まったようだった。
そして、恐らくは、運ばれる数時間前に実は、もうなっていたらしい・・・自覚症状もないままに・・・・。
そして、最悪は、これから3日間の間にまたあちこちで脳梗塞が起こりやすい事と、脳圧が上がる事。すなわち、脳死になるということ。
そして、希望的観測も含む、いい方向の事は、リハビリをする事によって、機能障害は残って、車椅子も必要だろうけれど、なんとか、まだ、人生に楽しみを見つけて、生きていく可能性があること。
言語中枢もかなりなダメージで、意思の疎通は普通には困難が予想されてしまう・・・。
でも、このへんの事は、落ち着いてからのリハビリ如何にもよるし、まだ度合いは不明だった。
脳がいっぺんにこれだけのダメージを受けると、体中の至るところにパニックも起こす事がある。
分かりやすいのはいわゆる、全身痙攣のようなものだけど、見えない部分で、例えば、唾液や涙が出るのが止まらなくなったり、若い女性だと生殖機能に関する事がいろいろと狂ってきたり、免疫力が下がって、いつもならかからないような病に侵される可能性がかなりあるというのだ。
じつは、よしんば、命をとり止めたのに、こちらで亡くなってしまう方もかなりいるということだった。データーはないけれど、ガンなども免疫力不全によって引き起こされている場合も想定できるのだろうな・・・(ここだけは私の憶測だけど・・・)

だが、この時から、もうすでに、母は、戦わなくてはならなかった。
なったその時から、なんと、リハビリは始まっていた。
つまり、私の「介護」という名のもうひとつの家事も始まっていたのだ。まだまだ自覚はなかったけれど・・・。