病院に着いて、夜間入り口で名前を名乗り、慌てて指示された場所へ向かう。
おばあちゃんと、近所のおばさんがいた。
おばあちゃんを一人で行かせる訳にも行かず、着いてきてくれたのだと言う・・・普段なんだかんだあっても、顔見知りのご近所があるのはありがたい。
「お母さんは?」
「それが・・・・・」
着いてから、あちらこちらと、検査検査で、どこにいるのか分からないと言うのだ・・・。
でも、ここで待っていてくださいと指示されたので、ここにいるのだという・・・。
私が、少し落ち着いているのには、数年前、義父がやはり、脳梗塞になって交通事故を起こし、この病院に運ばれたという経緯があるからなのだ・・・。
検査が終わるまで、じたばたしてもしょうがないのも充分知っている・・・。義父の時は、無駄にみんなでばたばたしたけれども・・・。
目の前を、何人ものスタッフに囲まれて、ベッドに載せられた母がガラガラと通り過ぎていく。
母だと分かったけれど、別の部屋でまた別の検査をされているらしい。
こういうときは、本当に無力で、私たちはただぼーっと見ているだけだった。
母を見ているうちに、救急車がまた到着して、患者を置いていく。
若い女性だ・・・交通事故らしい。
後からすぐにその家族も駆けつけた・・・こちらの家族は半狂乱だ。
泣き叫ぶ声が聞こえる・・・・その女性の名前を母親らしき人が呼び続けている・・・・。
こんなシーンなのに、やっぱり、これは、もう、私の神経が傷つかないために、わざとそうしているとしか思えないのだけれど、鈍くしか感じない。
ああそうなんだ・・・・そんな感じだった。
母より前に担ぎこまれた、母よりは大分高齢の男性が、処置と検査が終わって、私たちの目前を、ベッドに載せられ、家族とともに横切っていく。
こちらは、どうも大したことがなくて済んだらしく、家族の表情は明るく、スタッフの表情も柔らかい。本人が意識もあり、酸素マスクを持ち上げながら、家族となにやらやり取りをしている。
まさに、テレビドラマの「ER」さながらで、目の前で明暗の分かれる家族を見せ付けられる。私たちはどっちなのだろう・・・?そう考えると、少しひやりとした思いが心に触れる。
男の看護士と思われるスタッフが、紙の束を持って私たちの前に現れる。
「○○○○さんのご家族の方ですか?」
「そうです」と答える。
まずは倒れた時の状況を聞かれる。これは、一緒にいてくれた近所のおばちゃんに大いに助けられる。
それから、母の病歴や、かかっている病院、飲んでいる薬など、一般的な質問が続く。
それから、母の母や兄弟の病歴、血縁関係の病気を聞きながら、普段の生活ぶりなどもあわせて聞かれる。
そして、「臓器提供カードはお持ちですか?」と聞かれる。
「いえ、母は持っていません」
「お元気な時に、そのような意思表示はありませんでしたか?」
「母は、しないです・・・」
私は臓器提供カードを持っている。家族にも説明をして、全ての臓器提供に○をつけているけれど、母は、そういうことに恐怖を感じるタイプだった。
死んだも同然の人から、内臓を取るなんて・・・・と、恐々言ってさえいた・・・。
だから、あり得ない、臓器提供なんて・・・。