最近、世間では「癒し」が溢れている。
癒されたい人がたくさんいるのだ。
私もその一人なんだけど、どういうものか、自分で癒すのが一番効く。
ナチュクリを始めてから、自分と相談して決める事が増えたから。
それまでは、あまり、心身ともに気遣ってなかったと思うのだ。
熱が出たり、嘔吐したり、痛かったり・・・・体がそこまで大声で叫ばないと、聞こえない私にはいたわってあげる術がなかった。
でも、そんなに弱った体に、病院のお薬をガバガバ与えて、なるほど、患部は良くなるけれど、それ以外のところが悪くなったり調子を崩したり・・・。
それでも、それは、私の体が弱いのが悪いのであって、お薬や処方に何の疑問も抱かなかった。
今は、ほんの少し、体がサインを出すと分ってあげられる。
自然のもの達の持つパワーを借りて、小さなトラブルは回避していけるのだ。
苦しくても、もう少し頑張らなくちゃいけない時、頑張りすぎてへばっちゃった時、やらなきゃならないのに、思うように出来ない時・・・。
そんな時、体は行動したくないのだと私に言う。
ああ、そうなのね、だったら、ちょっとこれで試しましょう・・と、アロマランプを焚いたり、ハーブティーを入れたり・・・お風呂にはバスソルト・・・些細な事だけれど体が必要としている事。
まるで儀式のように、自分にそっと供えるのだ。
すると、体も意識もふわりと軽くなる。
何もまだ解決していないのに、解決するためのエネルギーがどこからか増幅されて、体や意識を巡り始める。
自分の主治医は、自分自身だったということを、今更ながら感じる。
子供達の看護婦さんもまた私。
あまりな時は、勿論、間違いなく病院へ行くけれど、些細な怪我や病気は、もう、家で治すことにした。
それは、勇気の要る決断の時もあったけれど、確実に子供達の体を丈夫にしてくれた。
子供の体も保護者は把握すべきなのだという事がようやく分かる。
なぜ今まで、一番傍にいる私より、今、問診で聞いただけの医者の言葉に従うのか?
病気の名前を特定するより、処置の方が重要な事がほとんどだ・・・。
私は、子供そのものに向き合っていなかった。こういう生活に入るまで・・・。
病気をやっつける事に夢中で、生身の体のことをおざなりにしていた。
苦い薬を無理やりに飲ませるより、抱きしめて、ゆくりと寝かせてあげた方が病気は早く治っていくことも、よく分かった。
コーヒーを飲んで無理やりに体を起こしていても、能率が悪い事も。
ゆっくり眠り、体に良いものを食べ、心に響くものを読む・・・。
それはどんな薬より私を健康にしてくれる。
その時間を取るために、仕事を片付け、家事を終わらせる。
心の中のささくれを、一つ一つなだらかに直し、心と体を自分でそうやってメンテナンスする。