毎週、土曜の午後の数時間、私はある場所に出かける。
私は、どうも、人よりストレスをたくさん溜めてしまう。
家で、いい奥さん、よき妻、よき母でいようと思うと、どうしたって、ストレスを抜いておかないと、もちゃしない!(抜いたってなかなかなれるもんじゃない!)
でないと、家族に八つ当たりか、仕事が行き詰まるか、家事がまったくできなくなって、ごみ屋敷になるか・・・だと思う。
人よりたくさん動いたり、人よりたくさん考え事をすると、確実に人よりたくさんストレスがたまってくる。
当たり前と言えば当たり前、でも、私は動いていないと死にそうになる。
まるで鮫女だ・・・・。
体の問題ではなく、心をいつもどこかに飛ばしたり、どこかの世界にどっぷりつからせたりしていないと、まるきり元気のない人間になってしまう。
どうにも、精神の比重の重い人間のようなのだ。そんな私が、そのどれもをしっかりできる場所・・。
とある市内のジャズ喫茶。
結婚直前からのお付き合いだから・・・もう13・4年になる。
16ビートの心地いいレコードから流れる音楽に囲まれて、(特にスイングジャズが流れると、子守唄のように私は心が溶けていく・・・)おしゃべりや、世間のこと、もちろんナチュクリ(ここのお店では、重曹とビネガークエン酸は導入済み!)も・・・止め処もない会話を嬉々として楽しむこともあれば、「ちょっとお昼寝させてね」と断って、お店の隅で、仮眠を取らせてもらうこともある。
雑誌や自分の持っていった本を読んだり、自分の仕事を片付けたり・・・・もうひとつの自分の部屋のようにくつろげる空間なのだ。
ここもまた、私にとってかけがえのない空間。
もしなくなってしまったら・・・・代わりを見つけることはまず不可能だと思う。
CDや、DVDのようなデジタルな音と、レコードは確実に違う。
デジタルで拾いきれない、人のぬくもりや、柔らかなムードもすべて刻み込んでいる。
だから、あの黒い溝に針が落ちるとき、そっくりそのままの空間が私を包む。
そこはライブ会場だったり、スタジオだったりするけれど、演奏者の息遣いが、本当にそこにいるかのように私の耳に届く・・・・。
音楽を聴いているのではなく、すっかり包み込まれている。
私は、羊水に浮かんでいる胎児のようなものになっている・・・。
私は、やはり、デジタルな人間にはなれないようだ。
どこまでもアナログを引きずっている昭和人間。
ナチュクリもこのレコードの音に似ている。
掃除をした後、人工的な香料の香りを残し、作り出されるときにも、処理されるときにも、使ってる最中でさえ、地球に軽い悲鳴を上げさせる。
とてもリズミカルだけど、すべての楽器の調律ができてない状態での大演奏会を聞いているようだ・・。
耳障りで、ずっとはその場にいられない。
時々外で、新しい空気を吸わなければ、呼吸が苦しくなる。
どんどん、悲鳴が大きくなって、今では叫び声になってきているというのに、気づかない人はたくさんいるらしい。
でも、自然なものたちは、決して派手ではなく、ただの白い粉だったり、透明なすっぱい香りの液体だったりする。でも、私たちも地球も傷つけることなく、「汚れ」と言う名の物質を静かに元の場所に戻していく。
地球と同じリズムで、私たちの手元にやってきて、そして去っていく。
あまりに自然なリズムだから使っていることさえ、まるで気づかないほどだ。掃除をしていると言うことをすっかり忘れてしまうほどに・・・。
重曹に、ビネガーに遊んでもらっている・・・地球の大きなお砂場遊びなのだ。
みんなで遊べば、きっともっと楽しいだろうに・・・。
自然な音楽は、地球と同じリズムを刻んでいるんだね。
だから、とてもくつろいで、喋っていてもそうでなくても、動いていても止まっていても、安心していられる。
ナチュクリで得たものは、「安定」だったのかな。
そういえば、最近、おかしな「不安感」に苛まれたことはない。
体の奥のコンダクターは、もう、決して間違ったリズムを刻まないからだ。
ああ・・・今日も気持ちのよい1日だったね。