日曜日のリヨン駅で迷う。
それも徒歩ではなく、
車で盛大に。
指定されたポイントが見つからない。
すぐ近くまで来ているはずなのに。
かゆいところに手が届かない、みたいなイライラ感。
一度道を間違えると、
えらく大きく回って戻ってこなくてはならない。
業を煮やし、駅前に立つ周辺案内の看板で、
目標地点を確認しようと車を降りて近くまで行く。
歩くとやけに長い道。
午後の傾いた陽の光が、
少しずつ肌を焼く。
通りの名から指先がたどったのは、
駅の中だった。
駅の外ではなく、中にある? 通りが?
半信半疑で入り口を探す。
見つけたのは出口。
これが「通り」なら、
あちら側に抜けられるのでは?
と、軽口を叩く。
三周目に三回目の同じセリフを口にすると、
その可能性を否定していた相手は、
パタリと反論を止め、こう言った。
強情だなあ、ならこっちから入ってみよう。
入らないと、あのときこうしていたら、と、
後々までずーっと言われそうだから。
あわてた。
四周目には正解に辿り着くと思っていたから。
そんなつもりはない。
もう一周してちゃんと入り口を見つけよう。
しかし今度はもう相手が折れなかった。
出口から入り、道は細く長く続く。
ときどきぐねぐね曲がりながら、
それでもほとんど目標地点までやってきたとき、
鋼鉄のバーが目の前に現れた。
同時に、構内をパトロールしている車も。
数メートル先に“かゆいところ”が見える。
でも、“引っ掻けずに”、引っ返す。
口をつぐんで。
西日に目を射られながら。
気がすんだ?
…ええ。十二分に。
あとちょっとでダメだったね。
迷惑かけました。
いやいや。
やれやれ。
まあまあ。
ぶつぶつ。
ふふふふ。
正解よりも強情の未来を、
手に取ってみせるとは。
一本取られた。
くやしい。
でも、妙な満足感。
不思議。
きっと。
「あのときこうしていれば」のパラレルワールドを、
ホントに経験したからだ。
明晰夢のように、
これは現実ではないとわかりながら、
一部始終をはっきりと味わったからだ。
そんなふうに、
未来を二つ味わう方法もあるのだと、
ちょっとぐったりしながら理解。
というわけで、
どこかしら心に微震を感じながら、
オヤスミナサイ。