4月28日(金)コドモ銀行券

閉店直前にドタバタ駆け込み、
外貨両替をしてもらったら、
いまどきヨーロッパは、
ユーロ紙幣なのだった。

ペラペラめくって、
はて。

どうしてもコドモ銀行券に見える。
見慣れないお札は奇妙だ。
現地でこの紙を差し出し、
そのことによって人が動いてくださったり、
モノが手に入ったりしたとき初めて、
ああ、これは通貨だ、
と実感するのだろう。

レヴィ=ストロース言うところの、
二重化された表象の共有。
それで人と人との間のギャップが埋まり、
なんらかの交換作用が働く、ということ自体が、
本当はものすごく不思議なことだ。

夜、しばらくぶりに洗ったクッションカバーを、
元にセットしようとして、大きな裂け目を発見。

実は、石けんを併用せずに、
重曹よりも少しアルカリのきつい溶液に、
つい長く漬けっぱなしで置いたのだった。
多分にそのツケかもしれない。

いきなり針と糸で繕い物。
終わった、と思ったら、
反対側にももう一カ所裂け目を見つける。
こうなったら意地でも、というわけで、
それも懸命にちくちく繕う。

しかし、
見える裂け目は閉じることができても、
布が全体的に弱っていることは否めない。
失敗したなぁ。
これを取り戻す方法はないかしら。

裂け目をはさんで彼岸此岸。
今や別々の布と布。
糸は意図。
ギャップををつなぐ、そのために、
織物の両岸を行き来する。

そうか。
糸(意図)も通貨なんだね。

などとボンヤリ考えていたら、
指を刺してしまった。
いてて。

イトの先には硬くて鋭い針がある。
それでなければみっしり詰まった現実を、
すうっと貫くことなどできない。

ある種のきかん気、火のような。
それが最も始めの地平を切り開く。

げに、蟻の一穴。
ふり返ってみれば何事も、
誰も気づかないほど小さな穴を通すことから、
そしてコドモと言われようと遊びと言われようと、
針の貫いた穴にイトを通してたぐることから、
すでに始まっている、と思う。