約束した人が久方ぶりに戻ってきたので、うれしく、
また、約束をちゃんと守ってくださることがありがたく、
私も必ずそのようにしようと深く心に刻む。
人に対して誓った約束などもろいものだ。
流転する状況次第で、あるいは人の心変わりで、
簡単に破られる。
この約束はどうして破られないのだろう。
たとえ今目の前に約束した事が現れなくても、
天地人合うときを信じて待つことができる。
人に誓った約束ではないからだ。
誓ったのは、自分の魂。
それを言葉にした。相手が聞いた。自らも聞いた。
それをどうして破れよう。
そのときは、魂を捨てるとき。
それができなくて一生抱えて歩くつもりなのだ。
道標は永遠に屹立し、
たとえ約束主が転けても、死んでも、
行くべきところ、あるべき姿を指し続ける。
やっかいなものを、
恐ろしい火を、
預かったものだと思うことがある。
自分では消すこともならない。
埋んでごまかすこともできない。
明々と燃え、熱と光を放ち続ける。
止めようとすれば火傷を負うだろう。
熾せば巨大なエネルギーになるが。
人生は、火のような約束を、
いくつ受け入れて歩み切るかだと思う。
きっと死んでも歩むのだ。
帰ってきた人が、相変わらず大きな松明のようなので、
思わずニコニコして勇気をいただき、
昨日までずっとそこにいたかのように話しかける。
おかえりなさい。
ありがとうございます。
また共に歩めることに、
そのように火を継いでくださったことに、
心から感謝します。