4月20日(木)死んでも消えぬ約束またの名を希望というものについて

約束した人が久方ぶりに戻ってきたので、うれしく、
また、約束をちゃんと守ってくださることがありがたく、
私も必ずそのようにしようと深く心に刻む。

人に対して誓った約束などもろいものだ。
流転する状況次第で、あるいは人の心変わりで、
簡単に破られる。

この約束はどうして破られないのだろう。
たとえ今目の前に約束した事が現れなくても、
天地人合うときを信じて待つことができる。

人に誓った約束ではないからだ。
誓ったのは、自分の魂。
それを言葉にした。相手が聞いた。自らも聞いた。

それをどうして破れよう。
そのときは、魂を捨てるとき。
それができなくて一生抱えて歩くつもりなのだ。
道標は永遠に屹立し、
たとえ約束主が転けても、死んでも、
行くべきところ、あるべき姿を指し続ける。

やっかいなものを、
恐ろしい火を、
預かったものだと思うことがある。
自分では消すこともならない。
埋んでごまかすこともできない。
明々と燃え、熱と光を放ち続ける。
止めようとすれば火傷を負うだろう。
熾せば巨大なエネルギーになるが。

人生は、火のような約束を、
いくつ受け入れて歩み切るかだと思う。
きっと死んでも歩むのだ。

帰ってきた人が、相変わらず大きな松明のようなので、
思わずニコニコして勇気をいただき、
昨日までずっとそこにいたかのように話しかける。

おかえりなさい。
ありがとうございます。
また共に歩めることに、
そのように火を継いでくださったことに、
心から感謝します。