動物の“進化”を俯瞰する資料を、
必要あってあれこれ乱読している。
原生動物、腔腸動物、扁形動物、環形動物、節足動物、脊椎動物、
どれも精巧なものだ、見事なものだ。
もちろん、私たち人間が属する脊椎動物は、
とりわけとても複雑で巧妙な作りをしているけれど。
中でも節足動物の仲間である昆虫の生き方には、
ひとつ非常に感心もし、また、大変だなあとも思わされた。
これまでもその特徴は知っていたけれど、
当たり前だと思っていたその現象に、
こんな自然のロジックが隠れていたのかと驚いた、
ということだ。
それまでの動物の進化の方向から影響を受けてのことだが、
彼らの脳は、頭から胸の部分に広がって形成されている。
頭の神経は運動に対して抑制的、胸のそれは亢進的に働く。
なのでどちらもなくてはならないわけだが、
ジレンマがひとつ。
頭から胸につながるということは、
必然的に、消化器官がその間を貫通するということだ。
彼らの体は外骨格に被われ、容積は決まっている。
脳は自由に大きくなれない。
それでもなるべく大きくなろうとすると、
「食」を制限することになるのだ。
カブトムシは樹液だけを吸っている。
蚊は動物の血液だけを。
蜂は花の蜜だけを。
クモは獲物の体液を。
昆虫の消化器官は、
「流動食」だけがそこを通るほどにそのスペースを脳に譲った。
そこまでしたから、今の多種多様な繁栄があるとも言えるし、
そのようにしても、自由な知能を発生するほどの脳は持ち得なかった、
ともいえる。
進化とは制限のことでもある。
進化と退化は同じ現象の裏表。
喪失と獲得は同時に行われる。
昆虫たちが地上に満ちるとき、
彼らが得たものと失ったものを考えた。
ひるがえって人間。そう、脊椎動物は、
昆虫のジレンマを解決済みだ。
神経系はすべて背中側を走っている。
脳の中を食道が貫くことはない。
そんなわけで、私たちは、液状物質だけでなく、
形あるものを消化する能力を与えられている。
知能を持ち得る大きな脳も。
友人たちと晩ご飯をしながら、
そんな人間の幸運について話をしたが、
残念なことに誰もありがたがらないのだった。
どうして?
こうやっておいしくモグモグ、ゴックンできるのってすごくない?
私たち、神経が背中側で本当によかったじゃん!