4月16日(日)乍ら族

アキバで月例の勉強会。
夕方からは琵琶を聞きにオペラシティに。

今日も新しい人物と事物にたくさん出合う。
家に帰った頃には、心地よい疲れに包まれていて、
体的にはそのまま眠れば至福のひととき、
という気配がみなぎっている。

ところが、またやってしまっている。

つい、パソコンを開いてメールチェック。
つい、そのついでにネットサーフィン。
あげくのはてに、
近いうちに目を通さなくてはと思っていた本を、
夜の夜中に広げて速読し始めてしまった。

まずい。
また朝五時まで起きているつもりか。

無理矢理、「体」から「本」を引っぱがし、
「人」としてやるべきことをやる。
人が主となることが、「住」むということだから、
それが本やパソコンに乗っ取られてはいけないと思うよ。

さらに言うならば、
「作」るということは、
人であり乍ら(ながら)の所為ゆえに。
主あっての産土であろう。
ちゃんと暮らさなくちゃダメだよ。

ええもう、
こんな屁理屈を発明しているヒマがあったら、
さっさと寝なさい!
頭の中、母の声で世の良識が叫ぶ。

ハイハーイ!
今日は言うこと聞くよ。
一つ、屁理屈を作れて、
それから眠れるのはウレシイからね。

……まったくもう、なのである。
オヤスミ、オヤスミ!