昨年末の掃除シーズン、
予想以上に重曹はバカ売れした。
それでホクホクだったはずのメーカーさんたちが、
最近ぐんなりしている。ちょっとグチを聞く。
曰く、重曹は掃除シーズンの季節商品と化すのではないか。
曰く、食用重曹は工業用(掃除)重曹に圧されるのではないか。
放っておけばその傾向はひどくなりますよ、と警告する。
年末の掃除にどうぞ、という言い方は、
営業的にキャンペーンをはるのには簡単でも、
ある意味他の洗剤類と同じ位置に重曹をおとしめることになる。
毎日の「命のケア」に使えばこのうえなく快適な、
体の中と同じおだやかな、この自然物質。
その、ごく極端な使い方だけをアピールするのは、
長い目で見ればあまり得策ではないかもしれません。
そもそも、大掃除など必要なくなるのが、
重曹生活なのですから。(ああ、このセリフ百万回唱えている…)
回り道に見えても、毎日、
ヒトは吐く息で体内を浄化しているように、
いつも重曹で身の周りを浄化するといい、
というかそれが、地球という惑星に生まれた、
私たち生命体の理に適う暮らし方だということを、
一緒に伝えていってくださいませんか。
メーカーさんたちは言う。
私たちに、単純にモノを売る以外、何ができるでしょう。
そういう意味を持つ物質だということを伝えられるのは、
CPPさんのような情報発信をしているところだけです、と。
いいえ、それは違う、と私は言う。
重曹を使うことの意味を知ってくださるなら、
その瞬間からあなたも新しい情報発信者です。
話してください。次の人にその情報を。
話して。離して。放して。
あまねく言葉を行きわたらせて。
いうなれば私たち一人一人は、
頭の中の神経細胞一つ一つのようなもの。
隣り合う仲間にインパルスが伝われば、
やがてそれは何らかの大きな身体表現につながる。
生体電流って微弱に思えますけど、
情報ですから、それでいいんです。それが初発です。
まさに、始めに言葉ありき、なのです。
どんなメーカーさんも、モノを売っているのではなく、
モノに乗せた情報を売っているのだと思いますよ。
そんなコメントは生まれて初めて聞いた、という顔で、
わかったかわからないか、戸惑いながら、
これまで地道に「モノを作ってきた人々」は頷く。
本当は、「情報」という言葉、
「スピリット」と置き換えてもまったくこの話、通る。
しかし漠然とした精神論ではなく、
自分が話し始めた次の瞬間から、
世界が変わっていくことを知ってほしくて、
自分たちが作るものも変わっていくことを知ってほしくて、
とにかく、具体的に具体的に話す。
かつてそうであったように、
モノを作る人々が、自らの作ったものを手放すとき、
そこに誰にも負けない愛と誇りを取り戻せますように。
どうしてこんな単純な物質で、
これほどの浄化が起こるのだろう。
いつもいつも、重曹に関わるときは、
それ自体、なにか祈りに似ている。