たまっていた宅配便が、どどどと届く。
このサービスが世の中になかった時代を、もう想像できない。
何でも玄関先まで持ってきてくれるのだもの。
昔は東京駅や上野駅で、大きな風呂敷の荷物や、
頑丈にひもでしばった何箱もの荷物を、
これでもかというほど担いだおじさん、おばさんをよく見かけた。
誰かに渡したい大荷物は、長い距離を自分と一緒に運んで、
現実的に持参するしかなかった。もちろん、
郵便小包やチッキはそれなりに機能していたけれど。
苦労して贈ることの価値が目減りした分、
万人の「便利」は躍進した。
いまどき、プレゼントにちょっと特別感を持たせようと思ったら、
わざわざ別の部分で「苦労」を探してこなければならないくらいだ。
順番待ちの限定品、時間をかけた手作り、フルオーダーのこだわり品…。
素直に、この世にそれがあることを、
そしてそれが自分の手元に来たことを、
それだけでこぼれるほど感謝できる感覚は、
かえって遠くなっているのかもしれない、
などと考えながら段ボールを次々開けていく。
おっと、チェおばさんの今月のキムチは菜の花だ。
軽いサラダ感覚なので、じゃがいもをゆで、
さっそく一緒に和えてみる。
うーん、いくらでも食べられる!
野菜がおいしいってやっぱり幸せだなあ。
午後からは、あれこれ連絡に追われる。
世の中にはあちこちにプロフェッショナルがいて、
アレが足りないと思うとその道のプロに電話し、
コレが知りたいと思うとまたその道のプロにメールして、
即座に答えが返ってくることで、
こちらが何らかの織物にしたい複数の物事が、
縦糸横糸、美しく織られていく。
望めば何でも手に入る、
金で買えないものはない、と、うそぶいた人が、
そういえば、少し前にいたっけ。
たぶん、誰でもある程度そのことに気づいている。
でもきっと、その魔法を何のために使うか、
その一点なのだろう、意見の違いは。
おそらく、できあがった織物がなるべく皆を幸せにする美に満ちており、
真に善きものであるならば、その先には、望まなくても手に入る、
金もないのに“買えてしまう”、不思議な現象を目撃することになる。
金で買えるなら奇跡ではない。
そうではなく、いわばすべての要素がビタッと収まるべくして収まった、
見事な天地人の3D織物を、たくさん見てみたいものだと思う。
その中のたった一本の糸にでもなれれば、
とても幸せだろう。
ええと、3Dってどう織るのか知らないのですけれど。