3月16日(木)弱いものが生き残る

遺伝子の生き残り戦略について話し合う。
パンデミック(感染爆発)秒読みといわれる鳥インフルエンザも、
ウイルスの側にしてみれば、人間の不用意な所為をくぐり、
この世に存在し続けるためにやることをやっているに過ぎない。

場合によっては、というか、多くの場合、
一見、「弱い」とされるもののほうがサバイバルに有利だ。
サバイバルするのは個体ではなく、
その個体が次の世代に運ぶDNAのほうだけど。

たとえば、お米の中で餅になる性質は、
普通のうるち米の遺伝子の一部が壊れて出現する。
そのことからもわかるように、餅は劣性遺伝なので、
ホモとなって発現するチャンスは少なく、
世代を継いでも、人間がその遺伝子をもれなく見つけ、
排除するのは、かえってむずかしい。

いったん命に入り込んだら、
ずっと見えない陰にいて、
たまに顔を出し、すぐひっこんでしまえ。
出る杭は打たれやすいのだ。
生き残るならば、出過ぎぬほうがよい。

またたとえば、美味しい枝豆で知られる「だだちゃ豆」は、
経験豊かなばさまの目で次の年の種となるものが残される。
いろり端で行われる選抜の様子には、
きっとみな目を丸くするだろう。

ばさまは、新聞紙の上にたくさんの成熟した茶豆を広げ、
しわしわの粒、小さくてゆがんだ粒を指ではじき出す。
そちらを捨てるのかと思うと、それこそが翌年の種子だという。

どうやら、だだちゃの美味は、
「弱い」とされる遺伝的多型の中にひそんでいる。
それが生き残るように、ばさまの、ひいばっちゃの、
そのまたばっちゃの優しい指が、何百年も、
とあるパターンの塩基配列を守り続けてきた。
いまどき大量に供給されるクローンだだちゃとは全然違う、
それは人と豆の、幾世にも渡る共舞だ。

 茶豆姫さま、お守り候
 夢と現のあわいに在りて
 隠身の響き聞こし召し
 その美久遠なり、あわれなり

弱いな、ダメだなと思うとき、ほんの少しだけ、
それがゆえに運べるものを考えてみる。
ささやかな方舟の中から羽ばたいていく、
もっとも美しいものは何か考える。

うんとおいしいお煎茶を入れて、
だだちゃのずんだ餅など、味わいたい夜なり!