私たちの頭の中身を一部ビジュアル化した、
奇妙なフィギュアをご存じだろうか。
専門家にとってはわりに古典的なイメージだが、
近頃はクイズ番組などでもずいぶん紹介されるようになったから、
一般にも見たことあるとおっしゃる人は多いかもしれない。
脳の中で、運動野と呼ばれる部位は、
体のいろんなパーツの運動を支配している。
運動野が各パーツにどれくらい処理能力を割り当てているか、
そのパーツの運動野に占める面積に置き換え、
フィギュアのプロポーションに反映して作ったのが、
顔の造作がやたらでっかくて、手指のふくらんだ、
ホムンクルス(人間の雛形)だ。
今日は車を運転するので足のグリップをよくしようと、
前に買ってあった五本指の靴下を穿くことにした。
しかし、手袋のようにスッと指ポケットにそれぞれの指が入らない。
むしろ指同士、間違ったひとつのポケットに入ろうと、
押し合いへし合いしている。
そのわけを、自らの感覚に問うてみて気づいた。
手袋を着けるときは、瞬時に指ポケットの位置を視認し、
それぞれを親指用、人差し指用…というふうに頭の中で指定し、
その指示に従って手指が適切に動いて各ポケットに入る。
同じように、五本指の靴下の指ポケットを視認して、
「親指、人差し指…」と、各指ポケットの位置を指定すると、
運動の現場ではちょっとした混乱が起きる。
足の指には、手の指にある「親指」の感覚がないのだ。
正確にいうと、頭の中でとらえられる感覚では、
足の親指は手の「人差し指」の感覚に近い。
手と同じように、この指の腹で、
敏感にいろんなモノを感じている。
なので、足の親指は、
人差し指用と指定されたポケットに入ろうとする。
面白いので、よしよし、と、なだめるように、
順番に足指を“正しい”指ポケットに入れながら、
あとの指の「私ホントは○○指なんです」と申告する声も聞く。
足の人差し指は、手でいうところの中指の感覚だ。
中指と指定されたポケットに入ろうとする。
足の中指は、本当は薬指。
しかし同時に足の薬指もやっぱり薬指。
なのでこの二本の指は、
どちらも薬指ポケットに入ろうと、
押し合いへし合いしている。
そして足の小指は、手の小指の感覚と同じ。
これはいいんだけど。
つまり足指は、
親指がなくて薬指が二本ある感じの、
手とは全然違う五本指なのだ。
この感覚を表すには、冒頭に取り上げた、
ホムンクルスのようなモデルでは無理だな、というのが、
今朝の発見だった。
外形の模写は内部感覚の「質」までは表現しない。
運動野は、その部位の運動コントロールとqualia(感覚質)との間に、
強い関連性を持っているということだろう。
言語野におけるモノの名前とqualiaの関係と同様に。
ますます面白いので、もう一回靴下を脱ぎ、
しばらく気を紛らしてから、再び指ポケットを目で見て、
今度は「人差し指用、中指用、薬指用、薬指用、小指用」
と指定して靴下を穿く。
さっきより全然スムーズだ。
ほとんど間違えずに(薬指がふたつあるので、
その部分の位置指定がややアバウト)穿ける。
二つある薬指の感覚が分化したら、
もっと上手に五本指靴下を穿ける気がする。
とりあえず、それぞれを「大薬指」「小薬指」と名付けようか。
自分の体に、新大陸とは言わないまでも、
ちょっとした新しい島を発見した気分だ。
感動して、このことを午後、人に話したら、
「そうとうにオタク入ってますねえ」と言われた。
そ、そうだろうか。