3月11日(土)オオクスリユビ、コクスリユビ

私たちの頭の中身を一部ビジュアル化した、
奇妙なフィギュアをご存じだろうか。
専門家にとってはわりに古典的なイメージだが、
近頃はクイズ番組などでもずいぶん紹介されるようになったから、
一般にも見たことあるとおっしゃる人は多いかもしれない。

脳の中で、運動野と呼ばれる部位は、
体のいろんなパーツの運動を支配している。
運動野が各パーツにどれくらい処理能力を割り当てているか、
そのパーツの運動野に占める面積に置き換え、
フィギュアのプロポーションに反映して作ったのが、
顔の造作がやたらでっかくて、手指のふくらんだ、
ホムンクルス(人間の雛形)だ。

今日は車を運転するので足のグリップをよくしようと、
前に買ってあった五本指の靴下を穿くことにした。
しかし、手袋のようにスッと指ポケットにそれぞれの指が入らない。
むしろ指同士、間違ったひとつのポケットに入ろうと、
押し合いへし合いしている。
そのわけを、自らの感覚に問うてみて気づいた。

手袋を着けるときは、瞬時に指ポケットの位置を視認し、
それぞれを親指用、人差し指用…というふうに頭の中で指定し、
その指示に従って手指が適切に動いて各ポケットに入る。
同じように、五本指の靴下の指ポケットを視認して、
「親指、人差し指…」と、各指ポケットの位置を指定すると、
運動の現場ではちょっとした混乱が起きる。

足の指には、手の指にある「親指」の感覚がないのだ。
正確にいうと、頭の中でとらえられる感覚では、
足の親指は手の「人差し指」の感覚に近い。
手と同じように、この指の腹で、
敏感にいろんなモノを感じている。
なので、足の親指は、
人差し指用と指定されたポケットに入ろうとする。

面白いので、よしよし、と、なだめるように、
順番に足指を“正しい”指ポケットに入れながら、
あとの指の「私ホントは○○指なんです」と申告する声も聞く。

足の人差し指は、手でいうところの中指の感覚だ。
中指と指定されたポケットに入ろうとする。

足の中指は、本当は薬指。
しかし同時に足の薬指もやっぱり薬指。
なのでこの二本の指は、
どちらも薬指ポケットに入ろうと、
押し合いへし合いしている。

そして足の小指は、手の小指の感覚と同じ。
これはいいんだけど。

つまり足指は、
親指がなくて薬指が二本ある感じの、
手とは全然違う五本指なのだ。
この感覚を表すには、冒頭に取り上げた、
ホムンクルスのようなモデルでは無理だな、というのが、
今朝の発見だった。
外形の模写は内部感覚の「質」までは表現しない。
運動野は、その部位の運動コントロールとqualia(感覚質)との間に、
強い関連性を持っているということだろう。
言語野におけるモノの名前とqualiaの関係と同様に。

ますます面白いので、もう一回靴下を脱ぎ、
しばらく気を紛らしてから、再び指ポケットを目で見て、
今度は「人差し指用、中指用、薬指用、薬指用、小指用」
と指定して靴下を穿く。

さっきより全然スムーズだ。
ほとんど間違えずに(薬指がふたつあるので、
その部分の位置指定がややアバウト)穿ける。

二つある薬指の感覚が分化したら、
もっと上手に五本指靴下を穿ける気がする。
とりあえず、それぞれを「大薬指」「小薬指」と名付けようか。

自分の体に、新大陸とは言わないまでも、
ちょっとした新しい島を発見した気分だ。

感動して、このことを午後、人に話したら、
「そうとうにオタク入ってますねえ」と言われた。
そ、そうだろうか。