綴りを間違えてメッセージを送ったかも知れない。
そう思った瞬間、カーッと顔に血が上った。
よりによって相手が大事にしているキーワードを。
こういうとき、送信済メールの記録を探す指先はのろい。
ポカをやらかしているのを最終確認したくない気持ち。
ああ、知らなければそれはそれで私、生きてゆけたのに……。
あのとき、「いい、これできっと合ってる」と、甘い判断をした。
もう一手間かけ、確認してからメールすればよかった。
調べようとしない私、知ろうとしない私。
警報音が鳴る。
もしかしたら、やばいところに来てるぞ!
世の中には数限りなく専門の知恵や技術があり、
それらのうち、たったひとつもまっとうできない、
素人の自分を認識するとき、深いタメイキが出る。
そこで必ず思い出す箴言がある。
自らの無知をどのようにして認識するか、という、
ソクラテス以降の問いに対する、ひとつの答えだ。
何かを「知らない」という状態は、無知を表さない。
そうではなく、「知ろうとしない」状態を無知という。
シロウトはシロウトシナイ、
ゆえに素人。
だからね、どんな大きなことも、小さなことも、
調べたり、学んだりすることをいとうてはいけないよ、と、
その短い言葉に教えていただいたはず。
なのになのに、と恥じながら問題のメールにたどり着く。
なんとセーフ! だった。
幸い、カトペだったようで、
綴りの記憶はないが正確な単語を送っている。
あー、助かったー!
でも改めてイカン、イカンと自分に注意報。
“知ろうとする素人”という妙な姿勢、
中腰みたいだけど、それだから付く筋肉もあり。
これからもキープしなくっちゃ☆