3月5日(日)何故私はそれを知ろうとしないのか

綴りを間違えてメッセージを送ったかも知れない。
そう思った瞬間、カーッと顔に血が上った。
よりによって相手が大事にしているキーワードを。

こういうとき、送信済メールの記録を探す指先はのろい。
ポカをやらかしているのを最終確認したくない気持ち。
ああ、知らなければそれはそれで私、生きてゆけたのに……。

あのとき、「いい、これできっと合ってる」と、甘い判断をした。
もう一手間かけ、確認してからメールすればよかった。

調べようとしない私、知ろうとしない私。
警報音が鳴る。
もしかしたら、やばいところに来てるぞ!

世の中には数限りなく専門の知恵や技術があり、
それらのうち、たったひとつもまっとうできない、
素人の自分を認識するとき、深いタメイキが出る。
そこで必ず思い出す箴言がある。
自らの無知をどのようにして認識するか、という、
ソクラテス以降の問いに対する、ひとつの答えだ。

何かを「知らない」という状態は、無知を表さない。
そうではなく、「知ろうとしない」状態を無知という。

シロウトはシロウトシナイ、
ゆえに素人。

だからね、どんな大きなことも、小さなことも、
調べたり、学んだりすることをいとうてはいけないよ、と、
その短い言葉に教えていただいたはず。
なのになのに、と恥じながら問題のメールにたどり着く。

なんとセーフ! だった。
幸い、カトペだったようで、
綴りの記憶はないが正確な単語を送っている。
あー、助かったー!

でも改めてイカン、イカンと自分に注意報。
“知ろうとする素人”という妙な姿勢、
中腰みたいだけど、それだから付く筋肉もあり。
これからもキープしなくっちゃ☆