虫が這い出てくる春になった。
本日は風も強く、残った冷気を吹き飛ばし、
あらゆるものがヨミカエル、
季節の節目を超えたと告げていた。
ヨミカエルとは、黄泉から帰ること。
あるいは、読みを替えること。
五十音で構成された日本語は、
非常にたくさんの同音異義語を持つので、
音を聞き、くり返して唱えているだけで、
ツルッと思考が横っ飛びする言語だ。
ある意味、丸ごとダジャレともいえる。
神代からの古典の素養に長けた、ある詩人は、
それをしてモノコトの素に近い音とおっしゃる。
言い換えると、あんまりすり切れてないというか、
原始的な響きのレベルから未分化なのかもしれない。
自由に転がして遊ぶには飽きない言葉だ。
さて、春になったので、
めのはの手配をしようと思う。
「めのは」とは、「め」の葉っぱのこと。
「め」は、わかめ(和布、若布)の「め」。
その響きは眼、芽、女(雌)と鳴り変わる。
そもそも、こんなふうに「め」のことに思いめぐらすのは、
アンドリュー・パーカー『眼の誕生』を読み始めたからだ。
若い古生物学者が、ひとつひとつ積み重ねた観察と実験、考察から、
生物種の大爆発に結びつく光スイッチの新説にたどり着いていく。
眼がこの世を読み替えているのだ。
いつ自分の眼が開いたか、過去を振り返って見ている。
最初の虫がこの世で見た光は、
本日、象徴的に這い出た虫の見た光と同じだろうか。
太陽を雲の向こうにチラリと見上げて、
五億年前の「め」でたき命のふし「め」を想う。