3月1日(水)うさとの服

主催の女性が待っていてくれるというので、
とてもありがたく、楽しみに、
とある服の展示会場に足を運ぶ。

うさとの服という。
タイの山の村に生きる女性たちの手で、
コットンやシルク、ヘンプを作り、紡ぎ、染めて織り上げ、
その布をパリ仕込みのクチュールの技術で仕立ててある。

まず、何よりも、
さとううさぶろうさんというデザイナーが生み出す、
それらの服のカッティングのセンスの良さに魅せられた。
オーガニックを追求した服は、素材がよくても体が服の中で泳ぎ、
小柄な体型の人間には、どちらかというと、
むずかしいデザインが多いような気がしていた。

でもここには、体の線にやさしく添い、
民族風に解釈しなくても着こなせる都会的なラインのものもあり、
逆に、ゆったりロハスな、そしてエスニックなラインのものもあり、
各人の趣味に合う服が見つけやすいように、
上手にテイストが分散してある。

さらに驚くのは、
プレタポルテでは使わない要素がちりばめられた、
ディテールの上品さだ。
くるみボタン、ループ留め、ヘムの始末など、
見る人が見ればすぐにわかる、
オートクチュールの世界の技法がたくさん駆使されている。

ここまで洗練されたアジアからの輸入衣料は初めて見た。
しかもオーガニックで、紫檀、黒檀、パパイヤ、藍などを使って、
糸から染めている。手織り地は、女性たちの心のままに織られ、
複雑な、二度と同じ反物はできないという一点物に仕上がる。

この洋服をメンテナンスするのに、
石けんだけでは困っていた、というのが、
今日の出会いのきっかけだった。

蛍光剤入りの合成洗剤などで洗濯すると、
いっぺんで真っ白に色が抜け落ちてしまう自然の服だ。
石けんでナチュラルにケアするのは当然だけれど、
それでも長い間経つうちに、黄ばんだり、ごわついたりと、
元の風合いに保てないことがあるという。

重曹水で洗浄液を作り、そこに少なめの石けんを溶くこと、
そのリンスにはビネガーがよいことなどを説明。
実際に自分も身につけてメンテしてみようと、何着か購入した。

価格も決して高くない。
流行のブティックで買い物することを考えれば、
これだけの手仕事がしてあって、
日本で生産したら、とてもこの価格では釣り合わない。

一緒に会場を訪ねた女性は、
疲れが抜けないと言っていたのに、
試着してそのまま服を脱ぐ気がせず、
なんだか体がほっとして元気になったと喜んでいた。

人がまったき環境に健やかに生きるには、
なんとたくさんの他人に助けていただいていることだろう。
ひとりで生きているなんて、そんなつもりでいるなんて、
着るものひとつ、食べるものひとつとっても、
うそぶくのは世界を知らない子どもだけだ、と、
改めて肝に銘じたことだった。

服用って言葉、知ってますかと主催の女性が問いかける。
もともと、飲む薬より、「着る薬」のほうが上薬だったのです。
だから今も、薬を用いることに「服」という字が残っている。

そんなふうに衣食住、すべての環境が、
人の命を害するのではなく、育む方向に変わるには、
いったいあとどれくらいの道のりを歩めばいいのだろう。

どんなに遠くても、
歩むのですけど。

私たちの代でたどり着けなくても、
次の世代で、その次の世代で、
きっとゴールにたどり着く。

こんな出会いに支えられて、千里の道の何里分かでも、
自らの足で歩む、この道のりが楽しい、と思う。