主催の女性が待っていてくれるというので、
とてもありがたく、楽しみに、
とある服の展示会場に足を運ぶ。
うさとの服という。
タイの山の村に生きる女性たちの手で、
コットンやシルク、ヘンプを作り、紡ぎ、染めて織り上げ、
その布をパリ仕込みのクチュールの技術で仕立ててある。
まず、何よりも、
さとううさぶろうさんというデザイナーが生み出す、
それらの服のカッティングのセンスの良さに魅せられた。
オーガニックを追求した服は、素材がよくても体が服の中で泳ぎ、
小柄な体型の人間には、どちらかというと、
むずかしいデザインが多いような気がしていた。
でもここには、体の線にやさしく添い、
民族風に解釈しなくても着こなせる都会的なラインのものもあり、
逆に、ゆったりロハスな、そしてエスニックなラインのものもあり、
各人の趣味に合う服が見つけやすいように、
上手にテイストが分散してある。
さらに驚くのは、
プレタポルテでは使わない要素がちりばめられた、
ディテールの上品さだ。
くるみボタン、ループ留め、ヘムの始末など、
見る人が見ればすぐにわかる、
オートクチュールの世界の技法がたくさん駆使されている。
ここまで洗練されたアジアからの輸入衣料は初めて見た。
しかもオーガニックで、紫檀、黒檀、パパイヤ、藍などを使って、
糸から染めている。手織り地は、女性たちの心のままに織られ、
複雑な、二度と同じ反物はできないという一点物に仕上がる。
この洋服をメンテナンスするのに、
石けんだけでは困っていた、というのが、
今日の出会いのきっかけだった。
蛍光剤入りの合成洗剤などで洗濯すると、
いっぺんで真っ白に色が抜け落ちてしまう自然の服だ。
石けんでナチュラルにケアするのは当然だけれど、
それでも長い間経つうちに、黄ばんだり、ごわついたりと、
元の風合いに保てないことがあるという。
重曹水で洗浄液を作り、そこに少なめの石けんを溶くこと、
そのリンスにはビネガーがよいことなどを説明。
実際に自分も身につけてメンテしてみようと、何着か購入した。
価格も決して高くない。
流行のブティックで買い物することを考えれば、
これだけの手仕事がしてあって、
日本で生産したら、とてもこの価格では釣り合わない。
一緒に会場を訪ねた女性は、
疲れが抜けないと言っていたのに、
試着してそのまま服を脱ぐ気がせず、
なんだか体がほっとして元気になったと喜んでいた。
人がまったき環境に健やかに生きるには、
なんとたくさんの他人に助けていただいていることだろう。
ひとりで生きているなんて、そんなつもりでいるなんて、
着るものひとつ、食べるものひとつとっても、
うそぶくのは世界を知らない子どもだけだ、と、
改めて肝に銘じたことだった。
服用って言葉、知ってますかと主催の女性が問いかける。
もともと、飲む薬より、「着る薬」のほうが上薬だったのです。
だから今も、薬を用いることに「服」という字が残っている。
そんなふうに衣食住、すべての環境が、
人の命を害するのではなく、育む方向に変わるには、
いったいあとどれくらいの道のりを歩めばいいのだろう。
どんなに遠くても、
歩むのですけど。
私たちの代でたどり着けなくても、
次の世代で、その次の世代で、
きっとゴールにたどり着く。
こんな出会いに支えられて、千里の道の何里分かでも、
自らの足で歩む、この道のりが楽しい、と思う。