小さな畑が手に入ることになった。
ただし、自分で荒れた土地を整え、
使える状態にもっていかなくてはならない。
しかしこんな幸運、そう落ちているものではない。
寒さゆるむ2月の終わりを開墾開始と定め、
物好きにも庭師を買って出た友人と手入れを始めた。
長斧、ノコギリ、シャベル、スコップ。
第一段階の整地に使うツールはいささか物騒だ。
打ち壊しの道具。
土は、思った以上にやわらかく、
切り刻むように掘り起こすと、
かつてそこにあったものの残骸が貌を顕す。
木の根や石、コンクリートの破片、ゴミ、切り株などを、
ひとつひとつ除いていく。
人間の頭の中の悲しみや憎しみにつながる記憶も、
こんなふうに額に汗すればdeleteできるものならいいのに。
そっちは脂質とタンパク質の地層に埋め込まれるばかりだ。
死ぬまで消せない。
ふと気づくと、高いところから鳥たちが見ている。
彼らは人間の所業をよく知っていて、じっと観察している。
「本日の作業はここまでで終わりにします」
午前中いっぱい体を動かして、十分によれよれだ。
喜んで現場監督、もとい、庭師の指示に従う。
新しい土がやわらかいでこぼこを作っている場所は、
しかしまだ畑にはなっていない。もう少し準備が必要。
畑になっても、最初に種をまくときは、
鳥に見られないようにそっとまかなくては。
(そんなことできるのかしら)
つい数日前の新聞に、
ヨーロッパの鳥インフルエンザウイルスが、
より人間に感染して増殖しやすい方向に変異を進めている、
という記事が載った。じわじわ追い込まれている感がある。
鳥に見すくめられずにすむなんてことあるのだろうか。
遠くで気配を感じながら、畑の用意をする。
あともう少し時間をくださいと、何かに祈っている。
我らを俯瞰する何者かに。