昨日に引き続き、
本日の食卓でも赤ワインに遭遇する。
「遭遇」というのは、自分で決めた成り行きではないからだ。
お客さまに好きなものを、と選んでいただいたら、
再び赤ワインの登場となった。
昨日の余波が残っているせい、ということにしておこうか、
途中、不覚にも白いシャツの胸元に数滴、ワインをこぼしてしまう。
フロアサービスの若い女性が私たちの騒ぎを見て、
素早く新しいナプキンを何枚かと大量の紙ナプキン、
それにコップに入れたお水を持ってきてくださる。
と同時に、一テーブルだけに聞こえるくらいの声で、
「よかったら炭酸水をお持ちしましょうか」と微笑む。
オヤ、と思った。この方、よく知ってらっしゃる。
お願いして、あとは食事とおしゃべりを楽しみながら、
時折そっと炭酸水でシャツのワインのしみを押さえ、
落ち着いて始末することができた。
蛇足ながら、しみは布の面に対して垂直に水を移動させて抜く。
水を移動させる力はただひとつ、浸透圧の差だ。
そこにさらに乾いた紙による吸湿力(と、できれば重力)を作用させ、
一気にしみを含んだ溶液の移動を完了させる。
彼女が持ってきたものは、すべて理にかなう道具だった。
さらにこの溶媒として水より炭酸水が効果的ということを、
さりげない提案の形で勧めてくださったことも、
相手の前で微妙な失態を演じている不調法者への救いとなった。
「へえ、そうなんだ」と、一陣の風の吹き抜ける驚きとともに、
お相手の意識はその場でじりじり目立つワインのしみから、
炭酸水という飲み物の持つ意外な、しかし普遍の性質に移っていく。
目の前のしみ抜き作業が、単なる応急処置の取り繕いから、
ぶっつけ本番の実験のように見え始め、
経過の観察がある種のゲーム性を帯びてくる。
ハプニングがイベントとなり、楽しみの軽みに遊び始めるのだ。
デザートにさしかかるころには、キレイにしみはとれていた。
通りかかった彼女に心を込めてお礼をいうと、
ニコッとおじぎをした。フランスにいたときに見て覚えたやり方で、と。
市井に伝わる素朴な知恵を見逃さず、今ある環境の中で、
的確なサービスの域にまで洗練して差し出す器量に感服した。
美味しいお店だったことには違いないが、格別心に残ったのは、
そのもてなしの爽やかさ、こまやかさ、温かさ。
スペシャルな思い出はこんなことからも発生しうる。