このあいだから、
ずっとうなされている。
同じセリフがリフレインする。
講座が終わったあと、
あるご婦人が個別質問にいらした。
「私はいつも重曹水を使っているのですけどね、
お掃除が終わった後、ビネガー水でリンスというのは、
本当はやらなくていいですか」
ビネガーで中和しなければ重曹が析出してきて、
ザラザラ感を起こすことがありますが、
気にならなければそのままでも結構ですよ、と答える。
「うん、ザラザラは困るんですけど、
でもビネガー水でもう一度というのが面倒で。
水拭きではダメですか」
水拭きだとまた残った重曹がいずれ析出して、
何度も拭きとりが必要になりますよ。同じ手間なら、
ビネガー水で中和したほうが一発で終わりにできますよ。
「ええ。でも別に重曹水で拭いたあと、
放っておいてもいいんですよね、本当は」
ザラザラが気にならなければ大丈夫ですよ。
「ビネガー水を使わないといけないですか」
重曹を中和して、一度で仕上げ拭きを済ませるには、
そのほうがいいと思いますよ。
「でも面倒なんです。重曹水だけで終わりたい」
ザラザラが気にならなければ、それでも大丈夫ですよ。
………
件のご婦人はきっと、
講師の口から、「ええ、ビネガー水など使わなくても大丈夫」
という太鼓判を引き出したかったのだろう。
でも何度聞かれても、答えられることはひとつだった。
重曹でお掃除、ビネガーでリンス。
残った重曹は乾くと析出する。
それをリンスするにはビネガーがよい。
自然の法則をうまく利用する暮らし方は、
面倒だから法則そのものをねじ曲げたい、
という人間のクレームには応えてくれない。
ものの道理を変更できる者はいない。
市販の製品ならば、ご婦人の要望に応えて、
面倒な手間をより省く方向に製品を改造するだろう。
「シャンプーしてリンスするのが手間」
ハイ、では一手間でOKのリンスインシャンプーを作りましょう。
「そもそもすすぎがイヤ」
ハイ、ではすすがなくていい柔軟仕上げ剤を作りましょう。
いかようにも物質を合成いたしましょう。
何も考えなくてよいように。ひたすら便利に、簡単に。
そのようにして、人工物質をどんどん開発し、
目先の利便の上に乗っかって私たちは生きてきた。
だからだろうか、ともすれば、
自然物質である重曹やビネガーも、クレームをつければ、
自らの都合のいいように変わってくれるのではないかと、
これまでの頭のどこかで期待している。無意識のうちに。
地球と同じ原理で暮らすことが、
重曹やビネガーを使うことだ。
どうやって命の理を変更するのだ。
そんな力は人間にはないということを、
この際、負けを認めるということを、
そのとき、ご婦人の心に届けたかった。
でも、できなかった。
その悔しさ……これで何日目だろう。
まだうなされている。
まだまだうなされるのだろう。
美しい音楽を聴いても、
友と楽しく笑っても、
どこかで傷が膿むように、
今もうなされている。
重曹と一緒にうなっている。
地球と一緒にうなっている。